名鉄美濃町線の思い出、編集中(その6)下芥見ー岩田坂
下芥見(しもあくたみ)
もう少しで下芥見です。
朝は徹明町行きが美濃や新関からありました。
ここから始発の徹明町行きです 続行運転の開始。
朝はこのように関方面の続行運転などが見られました。
また部分廃止後、これより南は自動閉塞化されました。800型もこのころデビューしました。
岩田(いわた)
下芥見より南側で 国道156号線と平行してはしります。
岩田より北で、国道と別れ下芥見へ向かうところ
岩田坂(いわたざか)
写真を探しています。この駅より南は日野橋へ下り坂です。
その7 日野橋 へ続く
名鉄美濃町線の思い出、編集中(その3)新関ー白金
新関(しんせき)
関市の中心の駅です。新岐阜からの電車は大半が折り返してゆきました。
橋の上の折り返し電車
美濃への部分廃止後、県道を横断して 長良川鉄道の関市駅へ乗り入れるようになりました。
関(せき)
関 駅です。1999年の部分廃止後 長良川鉄道 関市駅 西側に作られました。徒歩で乗換えができました。終点の北側に、長良川鉄道の北側の留置線があり、若干ずれて美濃町線の線が配置されていました。、以前に名鉄が乗り入れを希望したのですが、越美南線の時、国鉄が断った経緯があります。
約5年間存在した駅でした。
岐阜方面に向けて発車します。
新田(しんでん)
駅の写真はありませんが、付近を走る電車です。新関を発車して、しばらく国道248号線の脇を走っていました。
赤土坂(あかつちざか)
珍しく 右側通行の交換駅でした。 架線柱にかみそりメーカーの看板が目に付きました。
小屋名(おやな)
ここも駅の写真はありませんが、国道156号線付近を通る電車の写真があります。
156号線からは、この先分かれて、違う道の側道を走りますが、交差点で踏切がない変なところがありました。
白金(しろかね)
交換駅です。通票を渡しています。平日朝 この駅までの区間運転がありました。
部分廃止後、この駅~北は、通票のまま残りました。
その4に続く
ブルートレインのエピソード
昔はネットなど無く、時刻表を手元において、よく会社から駅に電話で(出張の)きっぷの予約をお願いをしました。
「もしもし」「○○駅です」
「春日井です。切符の予約をお願いします。」
「列車は?」
「○月○日発 しらさぎ○号 名古屋-敦賀 ハザ2枚 つなぎ 敦賀-鷹ノ巣 日本海1号 ハネ2枚 きっぷ 青森十和田ミニ周 2枚 です。」「とれます?」
(取れない場合は別ルートがあれば教えてもらえました)
――――
「大丈夫です」(いわゆる電報略号を1部使いました。)
(別に周遊券でなくても良かったのですが、めんどくさかった)
(2週間以内の出張であれば、当時まだあった周遊券を使った、経路が複数選択できるので有難かった)
(内容を復唱されたあと) 「よろしいでしょうか?」
「了解しました」
「お名前は」「春日井です 本日20時ごろ取りに向かいます。お願いします。」
「了解しました。」
仕事中だったせいか、自分が投げやりな感じの声。今思えば 駅員に気の毒だったよな。
寝台車に乗るのが楽しみだったら、こんな声ではなかったような。
となりで聞いていた元国鉄職員の上司が「それできっぷ買えるのか 大丈夫か」でしたが
「相手が判ればいいんじゃないですか」と回答しました。
(別に最初から判っているのではなかったのですが、駅員と会話しているうちにそうなってしまったのです.ネットはなくても予約はマルスでシステム化されていたので、電話でも済んだのでしょう)
(移植)えちぜん鉄道 勝山左儀長祭り (2013-0306)
「勝山左儀長祭りにあわせてテキ6を動かす」との知らせに、2/24勝山行きを決意。行きました。
福井には9時半過ぎに到着 乗車した9:56発勝山行き955K列車にはなんとMc2101型の2両が充てられていました。ラッキーです。
勝山についたら早速写真を撮りました。
Mc2111+Mc2116 勝山駅です。
この日は新車Mc7000も勝山永平寺線の運用についていました。
扉にマークが描かれています。
左儀長祭りは、一本儀の酒蔵祭りに行ってきました。
毎年左儀長祭りに合わせて開かれます。
九頭竜川を渡ったとき非常に冷たい風が吹いていました。
注)左儀長祭りに勝山に行くときは、2月ですので除雪はしてあるものの、路面は濡れていて所々に水溜りがあります。足の雨対策と、かさは必要品です。