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えちぜん鉄道の生い立ち(その3 京福電鉄の繁栄と衰退)

1.戦後の災禍と復興

福井市は空襲からいち早く復興しました。

しかし1948年(昭和23年)6月28日 丸岡を震源として福井大地震が起きました。

各地で断層が発生するほどの震源が浅い大規模な地震で、鉄道もほぼ全線、線路が歪む、鉄橋が落ちる。列車が脱線、転覆する被害が発生しました。空襲よりも、地震の被害のほうが大きかったくらいです。また復旧途中の翌7月、追い打ちをかけるように集中豪雨が発生し、九頭竜川が決壊、多数の罹災者が発生しました。

 度重なる被害にも屈せず、京福電鉄は復旧していきました。電車も不足したため東急電鉄から電車を購入します。1949年(昭和24年)には日立製作所製の電気機関車テキ521、テキ522が登場しました。特に越前本線の大野口への輸送に活躍します。

 

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 写真がテキ521で奥に見えるのが522です。凸型の電気機関車です。貨物輸送廃止後は専ら冬季の除雪輸送に使われ、えちぜん鉄道に引き継がれてからはテキ改めML521+522と永久連結されて使われています。

 

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また電車も新車の割り当てがありました。運輸省規格型電車といい、大まかな仕様を運輸省で決めて作られた電車です。ホデハ1001(モハ1001-1003)といい18mの電車で、類似のものが名古屋鉄道3800型です。大型の電車でしたので、旅客の多い三国線に投入されました。

昭和20年後半から30年代にかけて、京福電鉄は黄金時代を迎えます。道路はありましたが、未舗装でしたので、鉄道が主な輸送手段でした。バスやトラックは駅までの補助的な輸送手段でした。また九頭竜川の開発の輸送も担うことになります。

 

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1957年(昭和32年)から翌年にかけてこれも日本車輌で、新しい電車が登場しました。(ただし電気部品は在来車のものを流用しました。これが後に災いとなります。)

モハ241,251型で日本車輌が当時地方私鉄向けに製作した電車です。17mの電車で勝山-大野間に存在した、小さな下荒井トンネルを通ることのできる電車でした。

 

2.自動車社会の進展と京福電鉄の衰退

 1965年(昭和40年代)に入ると、バス、トラックの増加により、旅客、貨物が減少し。旅客、貨物の輸送も減り始めました。1968年(昭和43年)に丸岡線が廃線されました。1969年(昭和44年)永平寺線の金津-東古市(永平寺口)間が廃線

 1975年(昭和50年)には越前本線の勝山-京福大野間が廃線になりました。これはトラック輸送に加え、福井から大野まで国鉄越美北線が開通したことのよるものでした。 その後も貨物輸送が廃止され、マイカーが増加して行き、収支は悪化してゆきました。1980年代、京福電鉄は福井支社の路線全線を廃止する方針にします。老朽化した電車の更新は、阪神南海電鉄からの中古車で補いました。1990年、福井県からの働きかけで、運行のための補助金が交付されるようになりました。電車も新しく作られました。

 

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写真の電車がこの時作られたモハ5001型(現Mc5000)です。武庫川車輌(現 阪神車輌メンテナンス)で2両作られました。足回りは豊橋鉄道を流用。恐竜が描かれていました。

 

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福井支社も乗客誘致のため土曜休日用の1日乗車券を発売しました。当時は永平寺線と永平寺への京福バスが利用でき1000円でした。これで観光客などが少し増えました。

 

3.京福電鉄の廃止

 ところが2000年(平成12年)12月 永平寺線の電車がブレーキの故障のため停車できず、越前本線の電車と正面衝突する事故が起こりました。事故原因は空気ブレーキが1系統のみで、ブレーキロッドが折れたことでした。この事故は運行というより、ブレーキの整備ミスによるものでした。気の毒に、運転手は亡くなりました。

 翌2001年(平成13年)6月 越前本線 保田-発坂間で2度目の正面衝突事故が起きました。*1 今度は信号の見落としによるもので、当時ATS等の安全装置が設置されていないことのよるものでした。この事故で新車だったモハ5002が廃車になりました。

  国土交通省京福電鉄に対し、鉄道の運行停止、バス代行を命じ「安全確保に関する事業改善命令」が京福電鉄に出されました。これはATSの設置等で、これには60億円以上の費用が必要でした。京福電鉄としても費用の捻出については株主の了解は得られない事情がありました。ついに京福電鉄は福井支社の鉄道事業を廃止することにしました。

ところが、京福電車が走らなくなったその年の冬、福井市内は降雪のある日は、終日道路が大渋滞を起こしました。代行バスも役に立たちません。特に道路事情が悪い勝井地区は大混乱になりました。一方同じ地域を走る福井鉄道沿線では、この問題は起こりませんでした。この結果、福井の積雪時の交通問題が深刻であることがわかり、経営だけでは計れない鉄道の必要性がわかってきました。沿線では電車復活の運動が盛んになりました。

 

*1 ATSがない場合、安全のため単線ではスタフ閉塞を併用する。路線の行き違い区間ごとに、閉塞区間を設け、区間を走るときはその区間のスタフをもって走る。これをリレーのように行き違い区間で走ってきた列車の区間を受け取り、自分が走ってきた区間のスタフを相手の列車に受け渡して走ってゆく。最も原始的な方法であるが、逆にいえば該当区間のスタフがないと、絶対に走ることができない。低速な路線向きであるが、信号のみの単線の路線では、よく併用される。