名鉄美濃町線の思い出:(その2) 新関-美濃
新関ー美濃間は1999年(平成9年)3月末に、最初に廃止された区間です。以前は徹明町や新岐阜から通しで運転されていましたが、お客が減ったのでしょう。590型が日中1時間おきに走っていました。しかし、朝晩は通しで走っていました。廃止の噂を聞いたので、一度この区間を撮影しようと思いました。
(このころはフィルムでしたので、写真をスキャナしたものです)
朝の日野橋です。直通の美濃行きがとまっています。ここまで続行運転できました。
続行運転とは1つの閉塞区間に2両以上の電車が続いて走ることをいいます。
先頭の電車が黄色の標識を掲げて走ります。通票は、最後の電車が持ちます。自動閉塞ではないので、信号機はありません。左のスクーターで乗ってきました。
1度か、数回か撮影した記憶があります。
新関駅をでた美濃行き。日中はワンマン運転でした。県道の真中を走りますが、途中で、左端に線路が移ります。このころはまだ冷房なしでした。
600型2連。あまり見たことありませんでしたが。朝運転されたようです。上が後から出てくる神光寺。下が、新関駅を出たところ。
まもなく下有知です。
下有知(しもうち)
この区間で唯一道路の端にありました。
美濃行きの始発です。折り返して徹明町へいったのでしょう。改装前のモ870型です。冷房もなしです。早朝なので、県道にはまだ車がほとんどいません。
新岐阜行き。どうやら続行運転のようです。
上り徹明町行きと、新岐阜行きが続行運転やってきたようです。のぼりの始発電車は、前日に美濃駅まで回送された場合が、多かったようです。
この880型電車は冷房化されていましたが、ラインデリアという長い扇風機のみのものも存在しました。
写真の880はまだ冷房がついていなくて、代わりに風鈴がついている「風鈴電車」でした。窓が開いています。この辺りから県道から外れてゆきます。
続行運転の続きです。次の神光寺の北です。
神光寺(神光寺)
交換設備があり、朝は列車交換がありました。
続行運転と交換です。
画面の右横に中学校がありました。学生が可愛らしいかった。
昼間の交換です。
松森(まつもり)
松森の写真はありません。代わりに松森へ行く電車の写真を載せます。
神光寺を出た電車は県道を横切り、反対側へ出て松森、美濃を目指します。
美濃(みの)
終点美濃駅。開業時は上有知(こうづち)駅でした。2回移転後、現在地に移りました。 朝の風景。
始業点検。前日に留置した電車が置かれていました。
新岐阜や徹明町行きが、次々と発車してゆきます。
先ほどの600型 2連の出発です。
当時の美濃駅です。
岐阜バスのときの写真です。600型も最初は白帯を巻いていました。