名鉄岐阜市内線の思い出 本線(長良線)

今回は1986年(昭和61年)まで 岐阜市内線の内、新岐阜と長良北町を結んでいた本線の部分を紹介します。

私がよく利用した線です。小さい頃、柳ヶ瀬に丸物(後に 岐阜近鉄に改称)というデパートがあり、そこに行くために新岐阜から柳ヶ瀬まで、母親に連れられて乗った記憶があります。北陸鉄道金沢市内線から来た 550型という電車ばかりで、扉は車掌さんが開け閉めしていました。

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当時の柳ヶ瀬は岐阜一の繁華街でした。後に西側に高島屋ができました。

南にはグランドタマコシという感じで、次々と店舗が出来ました。

最後のほうは 新岐阜始発が多かったのですが、1960年代はほとんどが岐阜駅前始発。市内線で唯一安全地帯があった電停です。

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おわかれ電車のころの新岐阜駅前。左へ伸びる線は、長住町にあった岐阜車庫へ通じる線でした。この線はまた、各務原線へ通じていて、貨物扱い用でしたが、最後は留置線扱いでした。

 

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金宝町ー徹明町間の かに将軍あたりを走ります。最後の頃は伊奈波通までが半数折り返しだったような気がします。

 

(本町までの写真はありません)

本町(ほんまち)

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伊奈波通を過ぎると道路が狭くなり、90度曲がったところが、本町。どこにでもありような名前です。前の布団店が、レトロでした。

 

材木町(ざいもくちょう)

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本町をまた90度曲がると、材木町です。長良川の材木商の大家が並んで、レトロでした。

 

公園前(こうえんまえ)

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平凡な名前ですが 岐阜公園の電停でした。背後は金華山岐阜城が見えます。この公園から金華山までロープーウェイがありました。学生の頃、妻とここまで電車にのって、金華山へのぼって、リス園でリスと遊んだことを覚えています。

本町からこの区間までは交通量が多い割りに道路がせまいので、奥の岐阜公園前の交差点から右に走って、本町まで走る道があり、次の長良橋から渡って南行きの、バスを除く自動車は、ここを通らず直進して、本町で合流する道を走ります。このため本町からここまでは、車は北行きの一方通行です。

 

長良橋(ながらばし)

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公園前から90度曲がって北へ行くと 、長良橋 長良川にかかる橋の中で、一番鵜飼で有名な橋です。

 

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最後は560型も走っていました。

電車の広告に「ぜにや」があります。柳ヶ瀬にある有名な老舗の乾物屋で、ここの鰹節や海苔は有名です。もう1つ「起き上がり最中」がありますが、これも徹明町にあるお菓子屋さんです。

橋のたもとから下流にかけて、昼間は鵜飼船がずらりと並んでいます。

長良川もこのあたりは二重堤防になっていて、両岸とも外提坊、内堤防があります。

内堤防は低く作ってあるので、長良川の水位が増すと外堤防と道路が交差する場所は扉で仕切られていて、水位が高くなると扉が閉まるようになっています。 しかし河畔の

ホテルや旅館は、内堤防沿いに作られていて、水が入ってしまうことになってしまいます。

 

長良橋を渡ると、鵜飼屋、長良北町で終点です。終点を降りて、移転前の岐阜大学の教養部にいった覚えがあります。

昔は この北を 専用軌道を走り、山形市(旧高富町)まで走っていました。

 

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岐阜市内線があったころ、ワンデーフリーぎふ というフリーきっぷがありました。

新一宮、新名古屋などからの発行もありました。

 

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きっぷの中に 名鉄バスの記載がありますが、これは電車の廃止代替バスで、高富から長良線に沿って、新岐阜、岐阜駅前を通り、北進して千手堂から西鏡島まで走っていました。唯一の名鉄バス路線でしたが、現在は岐阜市営バスともに岐阜バスに移管されています。