寝台列車の思い出(つぶやき)

鉄道マニアといえば、寝台列車 ブルートレインを結びつける人も多いでしょう。

私が少年時代、日本各地に国鉄寝台特急が走っていました。

寝台急行もありました。寝台特急が全車寝台に対し、急行のほうは座席車も連結されていました。
寝ている間に移動できるので、交通の不便なところには特に便利でした。

私の住んでいる愛知県一宮市東海道本線の沿線でしたので、春から秋にかけて早朝は、九州寝台列車の上りが撮影可能でした。


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EF65が牽くはやぶさ、みずほです。確かに外から見るとかっこよく、あこがれるわけです。

しかし国鉄からJRになると寝台列車を取り巻く状況は変わったように思います。遠距離列車中心のダイヤから、都市近郊列車が増発されるようになりました。

飛行機の便が増え、高速道路が整備されると、これらに押されて客足は遠のいてゆきました。

実際に寝台特急に乗車するには、乗車券+特急券+寝台料金-510円(指定席券がダブるため)
が必要です。寝台料金は、B寝台でも標準6480円、A寝台でも9720円です。グリーン料金が最高7600円くらいです。ビジネスホテルでも平均B寝台くらいの値段です。やはり高価です。

寝台列車の値段が高い理由はたくさんあります。
1.夜間走って目的地に着くため、毎日往復すると4本の列車と、列車に必要な人員が必要。
(昼間の列車の倍のコストがかかる)このため運賃を簡単に下げられない。

2.長距離に走行がわたるため、複数のJR区間を走る。このため運賃収入は100%入るわけでなく走行距離の割合で割ったものになる。このため昼間の列車に比べ収益が悪い。

3.乗車率が高い水準を保てないと、採算がとれない。

こういった厳しい環境の列車でした。移動目的としては、新幹線が開通したこともあり、年々利用が減少していきました。

価格だけでなく、ブルートレインを取り巻く状況は年々厳しくなっていきました。


<九州方面の寝台列車

とくに九州方面の列車は、東京駅を夕刻出発して22-23時に名古屋に着きます。電車に比べ、加速が悪いのでたいてい遅れることが多く。JRに変って各社共に電車を増発したので、巻き添えになってこの時間帯の電車も日常的に10分ほど遅れていました。当然苦情が多くなり、乗車率も低く、遅延の元であったブルートレインを自分でも嫌ったほどでした。 おまけにその後のダイヤは特急貨物も控えている状況でした。比較的早い時期にきえてゆきました。上りに至っては、遅れて朝のラッシュにかかれば、ラッシュがおわるまで側線で退避です。哀れなものです。寝台列車が全部廃止されたときは正直「ほっとした」感がありました。


日本海縦貫線寝台列車

日本海を回る寝台列車は少し事情が違いました。寝台列車が残る環境がありました。
1.幹線を走る列車が比較的長距離で、都市近郊区間を走る列車が少なかった。
2.空港から遠い地域が多く、寝台列車の需要があった。
3.青函トンネルが開通したことで、需要が維持できた。

上野発の「北斗星」「カシオペア」などはJRからできた列車です。当時は好景気で、寝台列車の需要もあった時期です。



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また「トワイライトエクスプレス」も豪華寝台列車として誕生しました。これらは移動目的と言うより、列車旅そのものを楽しむ列車です。

(これは新疋田という、敦賀の1つ前の駅です)

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ブルートレインに乗車する機会は、私が秋田県の「鷹ノ巣」へ出張する際に「日本海1号」に乗車したのが、最初で最後でした。日本海は2本あり、当時1号は函館まで走りました。

寝台列車は客車列車の場合当たり前ですが、機関車が牽引するため、連結器に隙間があります。このため発車の際に「ガシャン」と振動が伝わります。このためなかなか眠れませんでした。
もともと乗車するのは好きではなかったのでなおさらです。

3月14日には北陸新幹線が開業。青函トンネルも新幹線を通す工事が始まりました。
架線電圧が20000Vから25000Vに変るので、対応を迫られていました。

トワイライトエクスプレス」「北斗星」も終わりを迎えました。


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寝台列車として残るは、「サンライズ出雲・瀬戸」電車寝台です。加速性能もよく、連結器の衝撃もありません。でも寝台列車として残すならこうだなと思います。これは尾張一宮駅で、おくれたため側線におしこめられていました。