名鉄美濃町線の思い出、編集中(その8)琴塚ー野一色

琴塚を出た電車は、野一色へ向かいます。

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途中神社の前を通過しました。続行運転もありました。2004年最後の春。

 

野一色(のいしき)

住宅地の中に駅がありました。1960年の終わりに交換設備が北一色から移転してきました。

 

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野一色までの電車に、新関行きの電車が接続して、乗り換え、徹明町行きとして発車してゆきました。

 

 

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朝は美濃行きの電車に日野橋行きの電車が続行運転して乗り換えることもありました。

 

その9 へ続く

 

 

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その7)日野橋ー琴塚

野橋(ひのばし)

いよいよ日野橋。徹明町からここまでは市内均一区間(170円)でした。

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駅というか、電停というか真ん中に道路をはさんで、上り下り 併せて4本の電車が行き違いできる構造でした。しかし道路には構内踏切がありません。珍しいつくりですが、これがワンマン化が難しい最大の理由でした。

 

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 部分廃止直後の写真。徹明町からの電車はここで折り返してゆきます。ここでも新関方面に乗り換えは可能ですが、道路を渡らなければならないので、乗り換えはその2つ前の野一色で乗り換えるように案内があります。車掌が乗っていたときは横断する車の有無を、車掌が確認していました。ワンマン化に伴い、果たして安全かどうか確認しています。

 

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車が入ろうとしています。

 

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 部分廃止直後の日野橋、日中でも590型が新関まで走っていました。新岐阜行きとなっています。この時期、田神線を市ノ坪まで走っていました。そこで接続するためです。ダイヤ改正とワンマン化の検討の時期でした。

 

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日野橋を岐阜方面に出発します。

 

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旧 156号線西側を行きます。後年156号線は日野橋北で大きく西側に曲がり、山をトンネルで抜いて、美濃町線を競輪場前東側でオーバークロスして、国道21号線、22号線に接続、岐阜市大垣市、愛知県方面に行くようになりました。

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この区間はよく渋滞しましたが、それも減りました。現在は県道になっています。

 

 

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日野交差点 電車用の信号機はありませんでした。

 

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道端を走ります。

 

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もうすぐ琴塚

 

 

琴塚(ことづか)

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寂しい駅でした。昔 岐阜ヘルスセンターがあったときは 最寄駅でした。

 

 

 

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その6)下芥見ー岩田坂

下芥見(しもあくたみ)

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もう少しで下芥見です。

 

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朝は徹明町行きが美濃や新関からありました。

 

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ここから始発の徹明町行きです 続行運転の開始。

 

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朝はこのように関方面の続行運転などが見られました。

 

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また部分廃止後、これより南は自動閉塞化されました。800型もこのころデビューしました。

 

岩田(いわた)

下芥見より南側で 国道156号線と平行してはしります。

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岩田より北で、国道と別れ下芥見へ向かうところ

 

岩田坂(いわたざか)

写真を探しています。この駅より南は日野橋へ下り坂です。

 

その7 日野橋 へ続く

 

名鉄美濃町線の思い出 編集中 (その5) 上芥見ー下芥見

上芥見からしばらくするとまた農業用水が横を流れてゆきます

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朝は 870や590も見られました。

 

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農閑期は水がありませんが、芥見小学校横の民家の枝垂桜が見事でした。

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その4)津保川橋梁ー上芥見

津保川(つほがわ)橋梁

白金の南に、長良川に注ぐ津保川があって、そこを渡っていました。

ここを渡る電車の写真はたくさんの人が撮っているでしょう。ここから南が結構有名な撮影地でした。

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鉄橋の南側には大きな桜の木があって撮影場所になっていました。

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橋の南側にここへ注ぐ農業用水があって、ほぼ線路に沿って流れています。

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ここから南の線路が、一部併用軌道になっていたのは、皆さんご存知のところ。

 

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写真が出てので、ここに載せます。

 

上芥見(かみあくたみ)

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併用軌道の南端が上芥見です。線路と反対側に待合所がありました。ホーム側は農業用水です。

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その5へ続く

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その3)新関ー白金

新関(しんせき)

 

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関市の中心の駅です。新岐阜からの電車は大半が折り返してゆきました。

 

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橋の上の折り返し電車

 

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美濃への部分廃止後、県道を横断して 長良川鉄道の関市駅へ乗り入れるようになりました。

 

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関(せき)

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関 駅です。1999年の部分廃止後 長良川鉄道 関市駅 西側に作られました。徒歩で乗換えができました。終点の北側に、長良川鉄道の北側の留置線があり、若干ずれて美濃町線の線が配置されていました。、以前に名鉄が乗り入れを希望したのですが、越美南線の時、国鉄が断った経緯があります。

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約5年間存在した駅でした。

岐阜方面に向けて発車します。

 

新田(しんでん)

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駅の写真はありませんが、付近を走る電車です。新関を発車して、しばらく国道248号線の脇を走っていました。

 

赤土坂(あかつちざか)

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珍しく 右側通行の交換駅でした。 架線柱にかみそりメーカーの看板が目に付きました。

 

小屋名(おやな)

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ここも駅の写真はありませんが、国道156号線付近を通る電車の写真があります。

156号線からは、この先分かれて、違う道の側道を走りますが、交差点で踏切がない変なところがありました。

 

白金(しろかね)

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交換駅です。通票を渡しています。平日朝 この駅までの区間運転がありました。

部分廃止後、この駅~北は、通票のまま残りました。

その4に続く

 

 

ブルートレインのエピソード

昔はネットなど無く、時刻表を手元において、よく会社から駅に電話で(出張の)きっぷの予約をお願いをしました。
「もしもし」「○○駅です」
「春日井です。切符の予約をお願いします。」
「列車は?」
「○月○日発 しらさぎ○号 名古屋-敦賀 ハザ2枚 つなぎ 敦賀鷹ノ巣 日本海1号 ハネ2枚 きっぷ 青森十和田ミニ周 2枚 です。」「とれます?」
(取れない場合は別ルートがあれば教えてもらえました)


――――
「大丈夫です」(いわゆる電報略号を1部使いました。)

(別に周遊券でなくても良かったのですが、めんどくさかった)

(2週間以内の出張であれば、当時まだあった周遊券を使った、経路が複数選択できるので有難かった)

 

(内容を復唱されたあと) 「よろしいでしょうか?」
「了解しました」
「お名前は」「春日井です 本日20時ごろ取りに向かいます。お願いします。」
「了解しました。」
仕事中だったせいか、自分が投げやりな感じの声。今思えば 駅員に気の毒だったよな。
寝台車に乗るのが楽しみだったら、こんな声ではなかったような。
となりで聞いていた元国鉄職員の上司が「それできっぷ買えるのか 大丈夫か」でしたが
「相手が判ればいいんじゃないですか」と回答しました。
(別に最初から判っているのではなかったのですが、駅員と会話しているうちにそうなってしまったのです.ネットはなくても予約はマルスでシステム化されていたので、電話でも済んだのでしょう)

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