2018-01-01から1年間の記事一覧

名鉄岐阜市内線の思い出 本線(長良線)

今回は1986年(昭和61年)まで 岐阜市内線の内、新岐阜と長良北町を結んでいた本線の部分を紹介します。 私がよく利用した線です。小さい頃、柳ヶ瀬に丸物(後に 岐阜近鉄に改称)というデパートがあり、そこに行くために新岐阜から柳ヶ瀬まで、母親に連れら…

名鉄起線

名鉄起線(おこしせん)は名鉄新一宮駅(現 名鉄一宮駅)と 一宮市(旧尾西市)起を結んでいた約5.3kmの路面電車です。当時の起点一宮駅は 以下の地図の通りです。 青色の線は、廃止された線です。一宮線は 岩倉までを結んでいた線です。こちらは専用軌道で…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その13)朝の運用

朝の美濃町線は日中とは違う運用がありました。 市ノ坪から出庫した電車が870を従えて続行運転で、競輪場前までやってきました。 800型の続行運転です。後ろの新岐阜ゆきの電車は新関からきたもの、前の徹明町行きは回送で出庫して野一色で始発となったもの…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その12)新岐阜ー市ノ坪

なかなか写真がないので、新岐阜から美濃町線を出発します。 新岐阜(しんぎふ) 新岐阜(現在の名鉄岐阜)は名古屋本線と各務原線、それに美濃町線が出発していました。本線は階段で2階に連絡しています。 廃止時点で美濃町線を含む600V線は磁気カードで…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その11)競輪場ー徹明町

金園町9丁目(かなぞのちょう9丁目) 単線区間でした。9丁目電停の東側だったか、西側だったか覚えがありません。 梅林(ばいりん) 単線から複線に変わる電停でした。以前は駅事務所がありました。 金園町4丁目(かなぞのちょう4丁目) 亡父の実家の前でし…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その10)競輪場前

競輪場前(けいりんじょうまえ) 競輪場前はややこしいので、ここで1つにまとめます 交差点東側に駅舎をかねた指令所がありました。 交差点の南に新岐阜側の交換施設がありました。また西側に徹明町側の交換施設がありました。 新岐阜側の交換 関行き 続行…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その9)北一色ー競輪場前

野一色を出た電車は、道路の軌道上へ現れます。 日中の続行運転は、先頭が徹明町行きになるため、新岐阜行きが黄色の印をつけませんが、510型の試運転のときは、新岐阜行きが先頭になります。 下芥見から帰ってきた510型がタブレットを持ち、市ノ坪まで行き…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その8)琴塚ー野一色

琴塚を出た電車は、野一色へ向かいます。 途中神社の前を通過しました。続行運転もありました。2004年最後の春。 野一色(のいしき) 住宅地の中に駅がありました。1960年の終わりに交換設備が北一色から移転してきました。 野一色までの電車に、新関行きの…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その7)日野橋ー琴塚

日野橋(ひのばし) いよいよ日野橋。徹明町からここまでは市内均一区間(170円)でした。 駅というか、電停というか真ん中に道路をはさんで、上り下り 併せて4本の電車が行き違いできる構造でした。しかし道路には構内踏切がありません。珍しいつくりですが…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その6)下芥見ー岩田坂

下芥見(しもあくたみ) もう少しで下芥見です。 朝は徹明町行きが美濃や新関からありました。 ここから始発の徹明町行きです 続行運転の開始。 朝はこのように関方面の続行運転などが見られました。 また部分廃止後、これより南は自動閉塞化されました。800…

名鉄美濃町線の思い出 編集中 (その5) 上芥見ー下芥見

上芥見からしばらくするとまた農業用水が横を流れてゆきます 朝は 870や590も見られました。 農閑期は水がありませんが、芥見小学校横の民家の枝垂桜が見事でした。

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その4)津保川橋梁ー上芥見

津保川(つほがわ)橋梁 白金の南に、長良川に注ぐ津保川があって、そこを渡っていました。 ここを渡る電車の写真はたくさんの人が撮っているでしょう。ここから南が結構有名な撮影地でした。 鉄橋の南側には大きな桜の木があって撮影場所になっていました。…

名鉄美濃町線の思い出、編集中(その3)新関ー白金

新関(しんせき) 関市の中心の駅です。新岐阜からの電車は大半が折り返してゆきました。 橋の上の折り返し電車 美濃への部分廃止後、県道を横断して 長良川鉄道の関市駅へ乗り入れるようになりました。 関(せき) 関 駅です。1999年の部分廃止後 長良川鉄…