さよなら近鉄内部・八王子線
このブログは風邪引き鉄のブログ の続編です。
2015年4月1日から、「四日市あすなろう鉄道」に移管が決まった近鉄内部、八王寺線のことを書こうと思います。近鉄で唯一の線路幅(ゲージ)2フィート6インチ(762mm)、特殊軌道、軽便鉄道、あるいはナローゲージとか言われます。近鉄の標準のゲージは4フィート6インチ(1435mm) ですから、約半分です。全国ではこのほかは三岐鉄道になった北勢線、黒部峡谷鉄道くらいです。「あすなろう」も明日と「ナロー」をかけたようです。
以前は湯の山線も同じゲージで線路がつながっていました(総じて三重線と呼んだようです)。しかし湯の山線は、4フィート6インチになり名古屋線と直通になりました。
そのうち高架線になり、内部八王寺線は地上のまま取り残されました。
内部線(四日市-内部)は5.7km、 八王寺線(日永-西日野)は1.3km 計7.0kmのミニ路線です。あまり目立たない路線です。以前は八王子線は伊勢八王寺までありましたが、1970年代に水害によって廃線になり、西日野どまりです。この頃から赤字ローカル線でした。近鉄は八王寺線を全部廃止にしたかったのですが、オイルショックの影響もあり、存続することにしました。
それから40年。近鉄はBRT(JR気仙沼線の仮復旧に使われているバスシステム)を提案したそうですが、四日市市が鉄道での存続を望んだ結果、四日市市が施設を保有、近鉄が運行する形で新会社を作ったそうです。
近鉄が施設を持ちたくないのはある意味わかります。他の線路幅なら大手私鉄やJRから中古車を譲り受けて活用できます。が特殊軌道ではそういうわけにも行きません。すべて新造ですし、特注になるために他の電車よりコストがかかります。その割りに電車が小さいので、輸送力を大きくできません。それでも1度は新車にしたので、よしというところでしょうか。 新車といっても30年が経ちますが。
少し前の内部線です。
ナローの電車は、車体が軽いのか、Nゲージと同じで1編成に電動車が1両だけの場合が多いです。普通の電車は電動車(M)とそれ以外の車(T)の比が1:1であるのが普通です。
北勢線は三岐鉄道に移管されました。現代の電車には冷房は必需ですが、北勢線はごく最近冷房がつきました。普通の電車用の冷房装置は付かないので、床置きのものを製造したようです。
移管の直前3月22日、久しぶりに行ってきました。500円の内部、八王寺線フリーきっぷが出ていましたので、それで乗ってきました。
電車はパステルカラーに塗られていました。
近鉄四日市駅の高架下から出ています。
西日野駅の運賃表です。30分間隔で、四日市から内部行き、西日野行きが出ています。このため日永までは15分間隔です。
運用は内部線2本、八王寺線1本で事足りるようでした。
日永駅で内部行きと、西日野行きに分かれて行きます。
電動車はモ260型、制御車はク160が新製されたようです。付随車としてサ120型が3両です。
これは後述するモニ220の戦後型を改造したもの。化粧板で不燃構造にしたとはいえ、セミスチール車(半鋼製車。外はスチールで車内は木造)です。台車は新製されていました。モ260も最近の新車とはいえ、吊架け駆動車でした。ですが、インバータ車と違い、低周波音です。眠気を誘います。四日市で降りるはずが寝てしまい、気がついたら折り返して戻っていました。
三重交通時代の付随車を改造した編成もありました。これもセミスチールです。
改造の元のサ130型(三重交通の時の製造)北勢線 北大社車庫
四日市駅の運賃表です。四日市あすなろう鉄道では170円区間が200円に、230円区間が260円に、30円値上げされます。
また、近鉄と切り離されることで、別会社になりますので乗り換える場合は別に初乗り料金を払わなくてはなりません。たとえば内部から名古屋までは現在は710円ですが、4月からは880円になります。
利用者に負担がかかってしまうので、四日市あすなろう鉄道は当然サービスの改善を求められることになります。現在はクーラーが付いていません。当然の設備である以上、冷房はつける必要に迫られるでしょう。
もし利用者が減り路線が維持できなくなってBRTを再び導入することが議論になった場合、どうなるのでしょう。普通の鉄道と違い、道路幅を広く取れないので、複線化は無理です。どこかで行き違い設備を作ると、鉄道ほどバスは編成を大きくできないので現在より輸送力が落ちてしまいます。なんとしても減収にならないように努力しなければなりません。
<30年前の内部線、八王寺線>
*近代化前の内部、八王寺線は、北勢線と同じく電動車:モ(Mc)が付随車:サ(T)を引っ張る編成でした。Tには運転台が無く終点に着くと、電気機関車と同じようにMcを切り離し、編成の頭に機回しして、連結するといった作業をおこなっていました。当然モは両運転台車でした。このため電車の向きを変える駅は全部機回し線がありました。
北勢線は1978年、内部、八王寺線は1982年に、現在の(Mc)+ク:(Tc)編成になりTにも運転台がつけられ、制御車(Tc)になりました。
以前内部、八王寺線にも走っていたモニ220型です。これとモニ210型が電動車の主な型でした。写真のころはすでに2両固定編成でした。北勢線西別所で、右に移っているのは妻です。(当時はガールフレンド 1984年位)戦前製のもの6両と戦後製の3両があります。戦前のものは外板をリベットと呼ばれる鋲(びょう)で止めていました。戦後製は溶接ですので、鋲はありません。
(ニは荷物室があること。運転室の後ろに付いていました 最後はあまり使われなかったようで、荷物室の窓も塞がれていました。同じような構造の電車が伊勢電鉄にもありました。手荷物輸送が盛んだったのでしょうか)
近鉄になる前、三重交通の時代、ナロー時代の湯の山線に、モ4400型電車が1本だけ登場しました。最近流行のLRTと同じ3車体が連接された構造で両端が電動車、垂直カルダン駆動、軽量車体の近代的な電車でした。唯一の新性能車でしたが、故障が多く、湯の山線から北勢線に移ったあと、電装品を外して全部付随車になってモニ220にひかれていました。近代化の後は新車(モ270)に牽かれています。このとき片方の運転台が復活して今に至ります。最近登場当時のカラーに戻されたようです。
( *電動車:M=Motor 付随車:T=Trailer 運転台(制御):C=Contoller
制御電動車 =Mc 制御車 = Tc )